コロナウイルスでの3/2から小中高休校要請を受けてのFBタイムラインの様子をみて思うこと

「自分に出来ること」を考えて行動しよう。

フィンランドに来て、日本の政治をはじめとして、違和感は多い。でもただ批判をしたり、落胆したり、誰かの意見を否定することではなく、じゃあ自分はどうする?を考えようと思ってきた。でも、それも、気をつけないと自己満足になるんだな、と気づいた。2/27に要請がでて、2/27に私も日本の現状を、周りの知人(外国人)に伝えたくて、安倍首相の要請、アフタースクールなど放課後の対応の様子を英語にしてFB投稿した。

翌朝、2/28朝、夫と話していて、そうだな、と思ったこと。

「日本人は、ただのんびり、するという事が出来ないよね。」

「なにかと詰め込んじゃうよね(自分も含めて)。」

でも1か月学校休みになったからといって、家で勉強しないといけない?なんでだろう?なんで勉強するのだろう?留守番する子がやることなくて、心配。

子どもは、大人と違って、暇も楽しめるしやることないことに喜べる子も多いと思う。悪い方に向かってしまうのではないか??と心配なら、子どもと話して互いに時間の過ごし方について理解しておけばいいだけではないのか。

沢山のオンライン教材を与えまくること、それは誰のため???

ここぞとばかりICT教育が広まるきっかけだ!と商売っ気たっぷりにPRしてる会社もまざってる(好意で広めてる面白い教材や会社がいっぱいあるのもわかってるけど)。

ドルトン東京の安居先生も投稿していた。ただ流れにのって、色んなオンライン教材を使えばいい、というものではない、「地に足をつけて」と。

目的を子どもを中心において、彼らに尋ねて考えることなく、大人の都合で、良かれと思って子どもに与え、子どもを忙しくする、それは私がアフタースクールの活動をしながら見てきた、日本の教育サービスの恐ろしさで、嫌な部分でもある。


2/28のタイムラインを見ていて、何だか逆に混乱した。
そして必要な人たちに、この情報は届いているのだろうか。届いていないのではないか。

情報に強い層との格差の発生。情報が多い人は選べる、でももし自分が親だったら、多すぎてただ混乱する。というか親じゃないけどもう混乱してるし、疲れて来たし、へきえきしてきた。

子どもがいたら、なんにもオンライン教育とかしないで、ただのんびり過ごしたらいいと思った。留守番させなきゃいけないなら、1つ子どものやりたいテーマを決めて、それをやるとか。youtube見続けたり、タブレットやPCで何かを「勉強」することは身体にもよくなさそうだし(個人的な意見だけど)。

その子の好きなことひたすらやればいいと思った。ゲームが好きなら、加減を話し合った上でひたすらやればいいと思う。ゲームばかりになるのが嫌ならその理由を話せばいいし、他に面白いものやその子の好きなことはきっとあるはずだから、その話し合いをすればいいと思う。


大人の都合で、大人の心配を払しょくするために、子どもに「与え」ないでほしい。

子どもの考える機会を奪うことにもなる。時間的にできたゆとりは、彼らが自分を理解したり好きなことを探究したり、のんびりして色んなことを整える大事な機会になる。

何かやらなきゃ、何かと忙しくするのは、日本の大人の特徴だ。

何もしない、を楽しめない。それは何もしない、を過ごしてきたことがないからかもしれないし、何もしないことに対する罪悪感やさぼり感が社会の価値観としてしみついているからかもしれない。

でも子どもは違う。遊ぶこと、のんびりすること、それはとっても大事な時間になる、きっと彼らを豊かにする。もっと「子ども」を見て、彼らの声を聴いてから、企画をはじめないか?

大人が自己満足にためにやる、自分に出来ることの大量発信は、子どもという主人公のためなのか、立ち止まって、誰のためなのか、本当に必要なのか?それじゃないとだめなのか?大人が楽したい、いいと思っているだけではないか?なぜ?なぜ?

日本人の得意な、考えないでただトレンドに乗る、のではなく、もう少し考えてから、選んでいけたらと思う。

ただの個人的な意見。そして私の感覚。私も最初は何か日本の子どものためにやらなきゃ!と無意識的にいろんな企画を考えていたからこそ、違和感を書き残しておこうと思った。自分のためにも。



写真は先日の小学校の掲示。いまこそ!自由にはばたけ!子どもたち~~!!!


たなか家 教育研究所 in Finland

フィンランドの大学院で教育を学ぶ妻と、情報配信・ツアー企画などをする夫のふたりで手掛ける教育研究所。様々な形で現地情報を交えての交流・調査など行います。

0コメント

  • 1000 / 1000