【夫婦の会話】”正しさ”、”正解”を求める日本人
フィンランドに来て、最初の1-2か月くらいで、一番二人で話していたこと。そう、それは「正解」を探す日本人。ネットでも著名人をむちゃくちゃにバッシングする。自分が「正」である、という考えがベースにある。まるで、自分が社会の代表かのようにコメントする、あれ、なんなんだろうなあ…気持ち悪い。でもこれは恐ろしいくらい無意識に刷り込まれた感覚で、私たち自身も自分の「正解」探し、間違っちゃいけない、最適解があるはずだ、という意識に何度も気づいた。あんまりにも「正解」「答え」を与えすぎた社会で育っているのだと思う。就活の相談でもよくある、「インターンシップは何個受ければいいのでしょうか?」「私服とスーツどちらがいいでしょうか?」「地元で働きたいのですが…(え。それで終わり?質問になってないけど)」など、もう自分で考えることを放棄すらしているように感じるけれど、でもそれくらい、常にこれが答え、こうしなさい、と周りが言ってきたのでしょう。22歳を超えてもこれですから、、、ね。危機感感じます。
先日コチラを読んで思ったのは、答えを与えすぎて考える機会を奪うことと同時に、意見を聞かない周囲の環境で考える意義を失うというのもあるのだなということ。
どうにもこうにも、誰かの顔色をうかがう「正解」からの脱却、したいものです。そもそも「正解」なんてないのですから…。解決には、先日書いた【夫婦対話】広島県の公立高校入試改革を受けて、にあるアントレプレナーシップ教育がヒントになるのではないかと考えています。
写真は我が家では頻繁にふせんが登場します。頭の中を言語化する。アイディアを広げる。整理する。家族会議では必需品~。最近は普通の対話の中でも整理したいときによく現れてます!
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